循環型農業という翼

 

横須賀市長坂の安田養鶏直売所はごく普通の住宅地の中にあるが、少しも唐突な感じはない。周囲の長閑な日常感に溶け込んでいて、そのことからずっとこの地に根付いてきたであろうと想像がつく。

産み立て新鮮卵が売りだが、敷地に入るとまず目につくのは元気な野菜たち。三浦大根や白菜などのおなじみ野菜に混じって、九条葱や日野菜を見つけて驚いた。この近辺の産直ではなかなか見かけない野菜だからだ。両方とも関西ではおなじみの野菜。最近、九条葱はちらほら見るが、とりわけ日野菜は、スーパーマーケットでもあまり見ない。

日野菜はカブの一種、といってもゴボウのように細長く色も葉元の5センチほどが美しいワインレッドで下は純白。もともと滋賀県日野町の伝統野菜だったが、いまや滋賀県産の野菜の中でもっとも有名といわれている。じつは以前、これを糠漬にしたものを伊賀上野の漬物屋からよく取り寄せていた。葉も根も一緒に刻んで、酢や胡麻を振って食べると恰好のご飯のおかずになる。このほか甘酢や塩漬も美味しい。まさか三浦でお目にかかるとはねえ。

さてさて肝心の卵はというと、L、M、Sとサイズごとにポリ袋に収まって並べられている。白いのは“しおさい”、赤は“アトムくん”、淡い青磁色は“タフラン”という名称。野菜のライナップといい卵の名称といい、なにやら生産者の想いのようなものが伝わってくる。

 

安田養鶏場の代表は安田勝治さん。伴侶としてずっと勝治さんを支えてきた和子さんにお話を伺った。和子さんは、打てば響くような反応からも瑞々しい感性を窺わせる。70代はじめとのことだが、とても若々しい。

勝治さんは農業高校出身で家業の養鶏と野菜作りの両輪でやってきた。しかし、卵の値段は変わらない、というよりも物価の上昇に比したら実質的には下がるばかり。野菜も市場に卸せばたしかに手間はかからないが規格を要求される。そんな状況に疑問を感じ、将来性を考えて踏み切ったのが経営方針の刷新。養鶏では卵に付加価値をつけること。特殊卵の生産販売だ。

 

たとえば“アトムくん”は、ペプチドや鉄分を独自に配合した飼料で育てた鶏の卵。ペプチドは近年、生理活性物質として注目されている。アミノ酸の結合物質なのだが、簡単にいえばタンパク質の赤ちゃん。アミノ酸が50個以上結合したものがタンパク質で、50個未満がペプチドなのだとか。専門的なことはさておき、鉄分が100㌘中普通卵の1.5倍含まれるそうだ。

一方の“タフラン”は、チリ原産の鶏種アローカナ(Aroucana)が産んだ卵。もともとはチリの先住民族アラウカノ族が飼育していたことから付いた名称とのことだ。これを交配させて選抜したのが現在のアローカナ。安田養鶏場ではビタミンを椎茸などで補強している。産卵数は少ないが栄養成分は特筆もので、普通の鶏卵に比べ、レシチンが2倍ビタミンCが11倍ビタミンBに至っては10~20倍だというから驚く。

安田さんのところでは、現在4000~5000羽の鶏を飼育している。規模としては小さいほうだろうけれど、言い換えれば充分に目が届く数だ。薬剤などいっさい与えず、牡蠣殻や有機飼料に徹しているから鶏は健康そのもの。とうぜんのことながら鶏糞も良質。またとない畑の肥料となっている。

 

そう!つまり循環型農業という理想の経営形態というわけだ。

40年ほど前に自分の納得できる形を模索した勝治さんの先見の明の賜物が現在の安田養鶏場。ここに至るまでには、きっと余人の計り知れないご苦労があったたろうと推察できる。残念ながら、現在勝治さんは療養生活を余儀なくされ、第一線から離脱中。いわば銃後を守るチームは、養鶏部門はご長男、農業部門はご次男とご主人の弟さんだ。

和子さんはもっぱら店頭で接客を担う。この役割は大きい。じっさいにご贔屓さんは和子さんに会えないと大いに落胆するらしい。

こんなところにも物販の基本を見た思いがある。右から左へ物を動かすのが流通。しかし、商品自体が輝きを帯びて魅力を放つのは、そこに付与されたメッセージがあるからではないだろうか。

たとえば、“アトムくん”や“タフラン”のプレミアム卵も、普通卵の“しおさい”も基本の飼料は同じ。共通するのは安心安全である。プレミアムな卵だからといって決して高くはなく手間を考えたらじつに良心的だろう。さらに、九条葱や日野菜のようなマイナーな野菜を手掛けること一つにも、顧客ファーストの進化のためには挑戦を辞さない姿勢が見受けられる。

規模の大小にかかわらず一次生産者が、安田養鶏場のように循環型の生産活動に取り組めば、私たち消費者の啓蒙にも繋がる。素人の立場であえて言わせてもらえば、こういう草の根的な実践こそが農の未来への翼となり得るのではないか。何事も例外なく人ありき志ありきなのだと教えられた。

つくること つなぐこと つむぐこと